日本人の枝肉しか食べない食習慣は異常?

「全部、丸ごと食べる」このことによって、人間は、食生活で、ある程度のバランスをとることが可能なのだと思います。もちろん、私たちの祖先たちは、バランスを考えてそのようにしてきたのではないと思います。また、肉の大量消費国ドイツには、たくさんの種類のソーセージがあります。材料を見ても枝肉(筋肉部分) だけではなく血、舌、レバー、腎臓、心臓などを腸に詰めぼうこうたもの、また、胃袋や勝胱にそれらを詰めたものもあります。

肉食の歴史の長い固では、まさに「血の1摘もむだにしない」。つまり、頭からしっぼまで食べるのが普通なのです。

しかし、現在の日本はどうでしょうか。肉屋さんに売っているのは、ロース、ヒレなど枝肉がほとんどです。肉料理といえば、しゃぶしゃぶ、ステーキ、すきやき、焼き肉、ハンバーグ、牛井など、やはり枝肉を使ったものがほとんどです。世界全体を眺めてみれば、日本はきわめて特殊な肉食の国なのです。よく、肉を食べたら野菜を食べてバランスをとりましょう、といいます。

それはその食べ方を見ると、牛なら牛一頭をなるべく偏らずに頭から尻尾まで食べる。ステーキだけではなく、内臓なども食べることでバランスをとっていると考えるほうが普通なのではないでしょうか。このような点でも、日本人の肉食はきわめて特殊なのです。

おそらく、豚を殺したドイツの人たちは、あまりにもたくさんある内臓を見て、「捨てるのはもったいない」と考え、内臓の入ったソーセージをつくってきたのだと思います。

米だって、現在のように白くしたのでは「もったいない」と考えるのが当然のことだったと思います。イヌイットの人たちも、インディオの人たちも、アイヌの人たちも、桐原の人たちも同じように考えたのではないでしょうか。しかし、どのような食物であれ必要です。

しかし、どのような食物であれ「全部、丸ごと食べる」のは手間がかかり、工夫が必要です。豚肉でもロースやヒレ肉なら、料理をしたことのない人でも、なんとか食べることができますが、脳みそとか尻尾ではどのように食べていいのかわかりません。

同じように真っ白な小麦粉なら誰でもでもパンは焼けますが、完全粉(全粒粉)で大然の酵母(通常はイースト)を使うのではまったく自信がありません。

シャケだって切り身なら、簡単に食べられますが、頭や内臓の料理方法はよくわかりません。まさに、食生活の知恵とは、それら食べにくいものを、上手に、おいしく食べる工夫が、何千年、あるいは何万年と、親から子へと受け継がれてきたものなのです。

たとえば、アイヌの人たちには「鮭は神から人間へのおくりもの、食べられるところをすべて食べつくしてはじめて、鮭の魂は神の許へ帰ることができる。そこで蘇生した鮭は再び神から人間のところへ戻ってくる」という伝説があるといいます。

そのような教えを本来なら「伝統の知恵」というのではないでしょうか。別ないい方をすれば、それこそが「民族栄養学」だったのです。ドイツにはドイツの栄養学があり、氷の世界に住むイヌイットにはイヌイットの栄養学があり、砂漠には砂漠の栄養学があり、そして、日本には日本の栄養学があったのです。それを忘れさせてしまったのが、戦後の栄養教育であり、「バランス」という言葉で表現するはずです。つまり「不完全な食物」でも、組み合わせれば「バランス」がとれるという錯覚をつくり上げてきたのです。

その結果、白米、精製した小麦粉ゝ精製塩、白砂糖、抽、そして、内臓は捨てられた魚の切り身、ジュース… … 私たちの食生活は、「一部分」しか食べない食物だらけになってしまったのです。

結果、現代人特有の栄養失調をきたしているのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください